台湾オタクになった僕

「ねえねえ、台湾のこと教えてよ」なんて誰にも言われてないけれど、ブログを開設。実はみんなに台湾のことを知って欲しいんだ。こんな僕を台湾オタクと呼んでくれ。

【第十四課】日本人?台湾人?湾生について

こんにちは

今日は雨ですね(つД`)ノ


雨だと野良猫ちゃんが雨宿りのためにどっかへ隠れちゃうので、寂しいです。


そうそう、昨日、目の空いていない野良猫の子供をお助けしました!


生まれて二週間くらいは経ちますが、その子だけガリガリに痩せていて、目も開いてませんでしたー(T ^ T)


うちの敷地内にいたので、お湯と綿棒を用意して優しく目の汚れを取ってあげると、無事目が開きました!!


ってことなんですが、

今日の記事は猫ちゃん関連ではなく、予告通り


『湾生について』


湾生って何って思いますよね。

これは、台湾で生まれ育った日本人のことをいいます。


なるほど!


それでは、『台湾人の親がいて、小さい頃は台湾で育ちました!』


っていう人は湾生なんだ!


いえ、違います。


日本は1895年から1945年まで台湾を統治していましたね。


その時に台湾へ多くの日本人が移民として渡りました。


主に台湾の東側、花蓮や台東へ農地開墾のためです。


日本では、「台湾は南国で素晴らしいところ。移民として台湾へ行きましょう!」と宣伝したそうですが、実際は何にもないただの土地が広がっていたそうです。


そんな花蓮や台東を見て、すぐに日本へ引き返した日本も多いそうです。


移民として台湾へ渡った日本人は、台湾で生活しますよね。もちろん台湾で結婚します。子供も授かります。


そして、1945年


日本は戦争に敗れます。


日本は台湾を放棄し、そのまま台湾は戦勝国である中華民国のものになりました。


移民として、台湾へ渡り生活していた日本人らは、日本へ強制帰国させられました。


台湾に残れたのは、台湾人の夫を持つ日本人女性などです。


台湾で生まれ育った日本人は、帰国という名目ですが、日本へは行ったこともありません。


ほとんどの日本人が台湾に残りたいと懇願したと言います。


幼い頃から近所に住み、朝から晩まで遊んでいた親友との別れ、恋人との別れ、様々な別れがありました。


これは想像ですが、1番辛い別れは母国台湾との別れではないかと思います。


次はいつ台湾へ戻れるか分からないからです。


世界の情勢が変わらなければ、一生台湾へは戻れない可能性もあります。


彼らが日本へ帰る際の動画があります。


大きな船に乗り込んだ大量の日本人と、見送る多くの台湾人


日本の旗を振って別れをしています。


そこまで台湾のことを勉強したとは言えませんが、そんな僕でもこのシーンを見ると涙が出てきますね。


この時、日本人の彼氏台湾人彼女の別れが


【海角七號】という映画になっています。


日本語だと

海角七号 君想う、国境の南

だったはず




日本でいうと、トトロくらい有名な映画です。


最後に、台湾人男性から日本人女性に対し、感動的な告白があるんですけどね!


これがかっこいいんですよ


ストレートな言葉で、遠距離恋愛中の女性なら言われてみたい一言ですね^ ^


どんな言葉かはあえて書きません。


是非、映画の中で確認してみてください!


先日台南で、いろいろおまけが付いている海角七號の特別版DVDを99元で買いました( ^ω^ )


安すぎるから多分売れ残り笑


でも、今では僕の台湾コレクションの仲間入りして幸せな余生をー


そんなことはどうでもよくて


湾生関連は他にも映画化されています。


【湾生回家】


です。7/1にdvdが発売だったので、友人(ピンハン)に買ってきてもらいました!笑


今度感想を書きますね


私は、初めて台湾協会主催のパーティーで青木さんという湾生の方と知りあいました。


貴重な出会いでした。


もうすぐ留学オリエンテーションなので、ここで、終わりにします。


次回はー


『食べ物がおいしい台湾!日本との関係』


にしましょう!(^-^)


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他の記事は下にある『記事一覧』にて

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