台湾オタクになった僕

「ねえねえ、台湾のこと教えてよ」なんて誰にも言われてないけれど、ブログを開設。実はみんなに台湾のことを知って欲しいんだ。こんな僕を台湾オタクと呼んでくれ。

【第五課】戦後の日台関係を教えるよ!

今日もバイト!

疲れたー、、朝から少しづつ書いててあと少しで書き終わるー!って時に、なんか記事消えてました(T ^ T)

余計疲れた…ってことで、これは書き直したものです笑


もう前置きはなし!笑


本題に入ろう!


台湾と日本の関係性は政府、民間と2つに分けて話すことができます!


はじめは政府間の少し堅苦しい話から笑


みなさん、現在台湾と日本に国交がある?ない?

どちらだと思いますか?


え、そういう質問するってことは国交ないの?って思った人


大正解!笑


現在、日本と台湾には国交がありません。

でもずっとなかったわけでもないんです


こんな流れがあります


1945年終戦

1952年日華平和条約が締結されます(日本と台湾は国交を結びます)

1972年日中国交正常化日中共同声明を結び、日華平和条約は破棄されます)

現在


という感じです。


そして、ここ重要!日中共同声明の中にはこんな文章があります


中華人民共和国政府は、台湾中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。』


日本はこの文章にも調印したということになります。。。


ただ、現在の日本の立場は「尊重すると言っているだけで、100%認めたわけではない!」です。


この文章が日本と台湾の関係を左右しているといっても過言ではありません。


日本が台湾と関係を持つときに、中国の顔色を伺っているのはこのせいです。(詳しくは後日記事にします)


堅苦しい話はここで終わり!^ ^


これからは、民間の繋がりの話をしようと思います!


最近では、熊本で起こった大地震に対して、台湾が多くの義援金などを送ってくれたというニュースがありましたね!^ ^

日本国民として非常に感謝しています!


謝謝台灣的各位!


その前には、台南で起こった大地震に対して、日本が1億2000万円と救助隊を派遣した話がありました!


その前には東日本大震災のときに台湾が200億を超える義援金と多くの支援物資を送ってくれたことがありました!(よく知らない人は【第ニ課】日本人のあなたに知って欲しいことを読んでみてください)


みんなが知っているのはこの辺まででしょうか?


実は、さらに昔にもこのような民間の支え合いがありました。


それは1999年9月21日に起こった台湾大震災のときの話です。


日本は台湾大震災を知り、世界で最も早く多くの救助隊とハイテク機器を台湾へ送りました。


その救助隊とハイテク機器は瓦礫の下にいる多くの人を助け出しました。


運悪く亡くなってしまった方に対しては、救助隊が遺体を囲み一人一人黙祷を捧げたそうです。


これらのことが台湾のニュースで報道され、多くの感動を呼んだといいます。


救助隊が日本へ帰る際に、多くの台湾人が空港へ駆けつけ、涙を流し感謝をしました。


イミグレーションゲートのスタッフもこのときばかりは立ち上がり敬礼をして救助隊を見送りました。


東日本大震災のときの破格の支援は、このときのときの恩返しがしたかったからだと私の友人は言っていました。


うーん、なんとも感動的な話だろう(T ^ T)!!!!!!


たとえ、政府同士の関係がなくてもこれだけお互い思いやれるのだから、やはり私たちは同じ人間ですね(T ^ T)!


いやいや、本当は民間の繋がりとして旅行者のことも書きたかったのですが、長くなってしまったので続きは次回にしましょう!


よって、次回は『日台を旅行者数から見てみよう!』


です。乞うご期待!