台湾オタクになった僕

「ねえねえ、台湾のこと教えてよ」なんて誰にも言われてないけれど、ブログを開設。実はみんなに台湾のことを知って欲しいんだ。こんな僕を台湾オタクと呼んでくれ。

【第十課】知られざるもう一つの台湾統治!

みなさん、お久しぶりです!


そしてただいま!僕はタイへ10日ほど旅行に行っておりました^ ^


多少の浮気はお許しを!笑


でもあれですね、たまに台湾以外の場所へ行くのもいいですね。タイ語を全く使えないので、どこか行くときはハラハラします笑


そのハラハラがワクワクとなり、海外旅行だー!って感じがします。


では今回、時間が空いてしまいましたが『日本によるもう一つの台湾統治』について。


もう一つ???


って思った方、前の記事やその前の記事をもう一度ご覧になってください。


そこでは、日本による台湾統治について少し言及しています。


が、それは台湾人が親日と言われる所以だったり、日本統治が台湾の発展に貢献した話だったりと、極めて日本贔屓な内容です!!!笑


ただ、そんな部分だけ知ってても面白くないですし、それらの記事を読んでくれた方に


『日本って素晴らしいな!やはり他の列強とは違う!日本万歳!』


と誤解を与えてしまうので、日本人が目を瞑りたくなるような部分もしっかりと書こうと思います!


このブログを通して、読者を台湾好きに洗脳したいなら、もちろん書きませんけどね笑


目的は、さらに日台関係が緻密になってくるこれからに備えて、みんなにしっかりと日本統治の事実を知ってもらうためですから(^-^)


詳しく書けば、日本統治時代の日本人による悪態はいくつもありますが、今回はその中でも最も規模の大きかったものを取り上げます。


それは、台湾原住民の統治についてです。


ちなみに、原住民っていう言い方ってよくないよ!ってお思いの方、実は台湾に関しては原住民という表記でいいんです。


先住民だと先に『既に死んでいる』このようなニュアンスが含まれているのでよくない!とされており、原住民が正しい言い方となりました^ ^


1930年、日本統治時代ですね。この年に台湾原住民セディク族による反乱が起こりました。


日本統治時代に起きた反乱の中で最も規模の大きいものです。


日本人学校で行われていた運動会をセディク族が襲撃しました。


これを霧社事件と呼びます。


霧社事件には第一次霧社事件と第二次霧社事件の2つに分けて説明することができますが、今回は二つまとめて霧社事件として説明します。


霧社事件が起こった理由、気になりますよね。


でもその前に、セディク族がどういう民族なのか、


日本人がどのような統治をしていたのかを説明します。


セディク族は山岳部で生活をしている民族で、首刈り族です。


首刈りを行うことで大人として認められ顎と額に帯状の墨を入れます。大切な通過儀礼です。


主に刈りをして生活しており、生肉なども食べます。


祝い事などのときは、老若男女輪になって歌い、踊り、大人は杯を交わします。


自分らの狩場を聖地と考え、そこでの刈りを含めた生活を大切にします。


一方、日本人はそこで、原住民に刈りをさせるのではなく、建物を建てるための木材を運ばせたり、実際に建物を建てさせたりしました。


原住民にも文明を与えようとしたのです。


もちろん、統治する側とされる側なので、日本人が圧倒的力を持っています。


そんな生活に嫌気がさしていたセディク族ですが、反乱するには至りません。


そんな中ある事件が起きました。


盛大な祝い事をするということで、セディク族が飼っていた牛を一頭殺める許可セディク族頭目が降ろしました。


彼らは大いに喜び、肉、酒、牛の生血をいただきました。


そこに、ちょうど日本人警察が通りかかりました。


いつもは目の敵にしている日本人警察ですが、この日は盛大なお祝いです。セディク族は日本人も宴に入れてあげようとしました。


しかし、生肉を食べたり、生血を飲んだり、口噛み酒を飲む習慣がありませんでした。


口噛み酒とは、原料を噛んで吐き出し、それが唾液により糖化し、その後、自然に酵母菌が発生し、作り出させる酒のことです。


日本人警察はそれらを拒絶し、地面に叩きつけました。


ここで堪忍袋の尾が切れたセディク族は、頭目であるモーナルダオを筆頭に、霧社事件を起こしました。


暴動により無くなった日本人は140名程度


日本の報復で無くなった、もしくは自殺した原住民は700名程度


です。



なんとなく概要だけでも理解できましたか?


これは『賽德克巴萊(セディクバレ)』という映画にもなりました。


この映画は、セディク族が野蛮である、反対に、日本人が野蛮である、というような単純なものではありません。


台湾人の作った完全抗日映画とも言い切れません。


二回見ましたが、まだ、よくこの映画のメッセージが理解できません。でも、自分なりに答えは見つかりました。



どちらが悪いとかではなく、霧社事件はこうして映画館され、台湾の多くの方に知れ渡り、若者を中心に火がつき、やがて台湾について勉強している日本人にも知れ渡り、当時の日本統治の一部を教えてくれました。


それだけで、霧社事件は意味のあったことなのだと思いました。


今は大学の学食にいます。


僕の隣では、男女でトランプをして馬鹿騒ぎをしている人たちがいます。


そういう人たちにも、いつかはこのことが知れ渡るといいな。



さて次回はー…

まだ決めていません!笑


おたのしみに!